ジャンル 日本の歴史と文化

早稲田校

政党内閣制の展開と崩壊1927-36年

  • 春講座

村井 良太(駒澤大学教授)

曜日 月曜日
時間 10:40~12:10
日程 全5回 ・05月20日 ~ 06月17日
(日程詳細)
05/20, 05/27, 06/03, 06/10, 06/17
コード 110262
定員 30名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 14,850
ビジター価格 受講料 ¥ 17,077

目標

・明治憲法下で政党内閣が続いたしくみと失われた経緯を知る。
・政治への理解を通して昭和初期の多様性や世界との関わりを知る。
・日本政治外交史を世界から見ることで民主主義への理解を深める。

講義概要

政党間で政権交代が行われる仕組みを政党内閣制と言います。現在の日本国憲法と違って民主主義を前提としない戦前の大日本帝国憲法下でも政党内閣制は成立していました。しかし失われます。なぜ、どのように失われたのでしょうか。政治の変化は何をもたらしたのでしょうか。それは大正期の帝国日本を引き継いだ昭和初頭のグローバルな文脈の中での変化でした。構造の中で人に注目し、歴史を学ぶことで、私達の暮らす民主政治の伝統を理解し、世界と日本の関わり、民主主義、政党、運動の役割についてより深く考える手がかりを提供します。民主主義の後退は現在の世界的課題です。本講義は「政党内閣制の成立 1918〜27年」の続編です。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 05/20 1927年の帝国日本と民主主義―田中義一政友会内閣の民主度 1927年の日本は帝国でした。そして民主主義ではありませんが同時代の国際協調を支えるデモクラシーではありました。どういう意味でしょう。最初に導入として全体の話をし、田中義一内閣期の内政・外交・文化を説明します。政党間での政権交代は「憲政常道」と呼ばれ、男子普通選挙も実現し、女性参政権も近づいていました。その中で田中首相は昭和天皇によって辞任に追い込まれます。
2 05/27 浜口雄幸・若槻礼次郎民政党内閣の努力―強すぎる政党政治!? 田中内閣が昭和天皇によって倒されると野党民政党の浜口雄幸内閣が成立します。第一次世界大戦後の日本に育まれたデモクラシーはますます発展の途上にありました。日本政府はなぜ国際軍縮を進め、なぜ浜口首相は襲われたのでしょうか。国民はどう考えていたのでしょうか。女性の地方参政も実現間近に感じられます。それは世界大恐慌後の、そして満州事変前夜の日本です。
3 06/03 満州事変の勃発と犬養毅政友会内閣―対外危機と国内危機 女性参政権も時間の問題と思われた民主的で平和を求める帝国日本で満州事変が起こされます。若槻民政党内閣は解決に努めますが、対外危機は国内危機と結びついています。次は挙国一致内閣でしょうか、それとも野党の単独内閣でしょうか。選ばれたのは犬養毅政友会内閣でした。民政党内閣に期待していた宮中から見て犬養政友会は危うく感じられましたが、政権につけば信頼できる政権でした。
4 06/10 五・一五事件の勃発と斎藤実・岡田啓介非常時暫定内閣 内外危機の収拾に努める犬養毅政友会内閣を五・一五事件が襲います。政党内閣の連続はここで終わります。しかし、それは何かの終わりだったのでしょうか。年表だけでは分からない歴史をお話しします。斎藤内閣には政友会内閣の継続の面があり、危機解消による政党内閣復帰を目指す非常時暫定政権でした。しかし危機は解消しません。そして予定外の2つめの非常時暫定政権に追い込まれます。
5 06/17 二・二六事件の勃発と日本政治の漂流―戦中・戦後への展望 危機解消が果たせないまま踏ん張ってきた非常時暫定政権でしたが、政治再建への期待は総選挙にかけられました。「憲政常道」は戻るのか。停滞していた女性参政権という点でも市川房枝は期待を寄せます。ところがその直後に二・二六事件が起こされ、政党内閣の復帰は当面見込めなくなります。政党内閣制喪失後の日本、敗戦後の再建についても概観し、本講座を総括します。

講師紹介

村井 良太
駒澤大学教授
1972年香川県生まれ新潟県育ち。神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専攻・日本政治外交史。著書に『政党内閣制の成立1918〜27年』(有斐閣、サントリー学芸賞)、『政党内閣制の展開と崩壊 1927〜36年』(有斐閣)、『佐藤栄作』(中公新書、日本防衛学会猪木正道賞特別賞)、『市川房枝』(ミネルヴァ書房)ほか。政党政治に関心があります。
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