ジャンル 日本の歴史と文化

オンデマンド

【オンデマンド】古代国家の形成:縄文人・弥生人問題を軸に据えて

  • 秋講座

水林 彪(早稲田大学・東京都立大学名誉教授)

コード 930201
定員 25名
単位数
会員価格 受講料 ¥ 15,840
ビジター価格 受講料 ¥ 15,840

目標

・列島における国家形成について、〈縄文人と弥生人〉という視点を投入しつつ、考える。
・最近の自然人類学(DNA人類学)の成果を歴史学に生かす。
・長い伝統を有する国家に関する社会科学理論研究の成果を歴史学に生かす。

講義概要

初回は、最近の自然人類学(DNA人類学)の目覚ましい発展をふまえて、東アジア人類集団の形成についてお話しする。第2回は、国家形成史の社会経済史的基礎をなす農耕社会の形成史論、および、これをふまえた共同体国家・首長制国家の形成史論である。第3回から第7回までは、本講座の中心をなす倭国の形成(前1〜後2世紀の伊都倭国、後2世紀後半の「倭国大乱」、後3〜後4世紀の邪馬台倭国)について論ずる。最後の第8回は、その後の列島古代国家史の展開を〈縄文人と弥生人〉という視点から概観する。

各回の講義予定

講座内容
1 東アジア人類集団の形成 60万年頃前にアフリカに誕生し、6万年前頃にその一部がアフリカを出て中近東に達した現世人類(ホモ・サピエンス)は、4万年頃前には東アジアにまで進出した。人類集団としての縄文人は、その頃に成立した東アジアの最も古い層に位置する人々であった。その後、東アジアには、黄河人、アムール人が形成され(約2万年前頃まで)、以上の人類集団の混血の中から、遼河人(前60世紀頃)、弥生人(前50世紀頃)が誕生してくる。列島古代史を担う人類集団はここに出揃うことになった。
2 東アジアにおける農耕社会と国家の形成 前60世紀頃に西遼河地域に雑穀畑作農耕が成立し、前40世紀頃までに韓半島南部にまで広まった(第1次畑作農耕伝播)。前30世紀から前20世紀頃にかけて西遼河地域に成立したより発達した雑穀畑作農耕文化は、前15世紀頃までには、韓半島にまで伝播した。その際、山東半島から遼東半島に伝えられた陸稲農耕もまた、韓半島に伝えられることとなった。そして、これらの畑作農耕文化が、前9世紀頃に列島に波及した(第2次畑作農耕伝播)。前14世紀頃に韓半島に成立した灌漑水稲農耕は前9世紀頃に盛んとなり、前9世紀末ないし前8世紀初頭頃には九州に伝えられる。その後、長い時間をかけて、列島西部は灌漑水稲農耕社会となる。以上の農耕社会形成を基礎として、東アジアに各地には〈共同体国家〉そして〈首長制国家〉が形成される。この過程で、列島西部は、縄文人社会から弥生人社会へと変貌をとげていく。
3 伊都倭国の形成と展開 前206年に成立した漢王朝は、武帝の時代に漢四郡を設置し(前108~前107年)、東夷支配を本格化させ、その一環として、韓半島と日本列島に対する帝国主義的支配を開始した。その後、宣帝(前1世紀第2四半期)、王莽(前漢大司馬、紀元直後)、光武帝(後漢初代、後1世紀中葉)、安帝(後2世紀初頭)の各時代に、九州北部の伊都国を拠点とする〈漢=伊都倭国政権〉の列島西部への支配が展開する。これによって、列島西部弥生人社会は、支配者(伊都倭国)と被支配者(列島西部各地の共同体国家・首長制国家)との分裂・抗争の時代に入った。この過程と併行して、列島西部弥生人は列島東部縄文人社会へと進出していく。しかしその東限は関東ないし南東北であった。北東北には縄文人社会(続縄文文化)が健在であった。
4 「倭国大乱」時代の虚像と実像 後2世紀後半、後漢は極端に衰退し、これに連動して伊都倭国も衰微し、列島は、『後漢書』倭伝が「倭国大乱」、『魏志』倭人伝が「倭国乱」と記す時代に入った。「倭国大乱」という表現から、古代史学・考古学は大戦乱の状況を想定してきた。しかし、真実はさにあらず、むしろ、漢帝国の支配がなくなり、列島各地は息を吹き返して、それぞれに独自の文化を形成した時代であった。この時期に、次の時代の主役となる出雲や吉備の勢力が台頭してくる。北東北の縄文人社会も揺るがない。
5 邪馬台国及び狗奴国の位置(その1):文献史料による考察 後2世紀後半、大陸では後漢が事実上滅亡状態になり、三国時代に突入していく(魏蜀呉)。しかし、実態は〈三国+公孫氏〉時代とでもいうべき様相を呈した。2世紀末の遼東地方に公孫氏が独自の勢力を築き、3世紀に入るや列島支配を始めることとなった。中華帝国の支配から解放された時期は半世紀ほどで終わりをつげ、再び帝国の列島支配の時代が再来した。ここにおいて、公孫氏の主導のもとに、邪馬台国を中心とする邪馬台倭国が創出される。邪馬台国については、周知のごとく、その所在地をめぐって、長い間、論争が続いてきた。したがって、邪馬台倭国について論ずるためには、まず邪馬台国(および邪馬台倭国が戦争を続けた狗奴国)の所在地について考えねばならない。この回では文献史料批判を通じて、この問題を考察する。
6 邪馬台国及び狗奴国の位置(その2):考古資料にもとづく考察 文献史料(『後漢書』倭伝、『魏志』倭人伝)の史料批判を通じて、邪馬台国=奈良盆地纏向地域、狗奴国=山陰地方説を提唱する第5回をふまえ、この回では、考古資料にもとづいて、邪馬台国・狗奴国の所在地問題を考える。ポイントは、(1)邪馬台倭国のシンボルたる前方後円墳と、狗奴国のシンボルたる四隅突出型墳丘墓の分布、および、⑵邪馬台倭国政権が軍功のあった首長達に配布したと思われる銅鏃の分布である。
7 邪馬台倭国の形成と構造 邪馬台倭国は、列島における、列島的規模での国家の嚆矢であった。狗奴国との長期におよぶ戦争を勝ち抜き、4世紀初頭の頃に、西は九州、東は南東北の広い範囲を人的に支配する国家として成立した。その支配範囲、支配方式、支配の正当性、交易などの観点から、その実像に迫るとともに、倭国の北東北縄文人社会への進出と支配について考える。
8 列島古代国家の展開:縄文人・弥生人の観点から 4世紀後半以降9世紀頃までの列島古代国家史の展開を、弥生人の縄文人支配という観点を軸にして、概観する。政治史ないし国制史の観点から言い換えるならば、小帝国(倭国・日本国)の蝦夷支配の問題である。

ご受講に際して(持物、注意事項)

◆視聴期間は一般申込開始(2024/08/27)から学期終了翌月末(2025/01/31)までになります。一般申込開始(2024/08/27)以降はお申し込みいただけましたら視聴可能になります。
◆この講座は
2024年度 春期 「【対面+オンラインのハイブリッド】古代国家の形成:縄文人・弥生人問題を軸に据えて」(04/10〜06/12 水曜日、全8回) で開講した講座のアーカイブ講座になります。
◆途中映像音声の乱れるところがありますがご了承ください。
◆オンデマンド講座のため講義内容に関する質疑は受付けいたしかねます。あらかじめご了承お願いいたします。

講師紹介

水林 彪
早稲田大学・東京都立大学名誉教授
山形県生まれ。博士(法学、一橋大学)。専門は日本法制史、比較法社会史。東京都立大学、一橋大学、早稲田大学などで、日本法制史、比較法社会史を担当してきた。主要著作は、『封建制の再編と日本的社会の確立』(山川出版社)、『記紀神話と王権の祭り』(岩波書店)、『天皇制史論』(岩波書店)。

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