ジャンル 日本の歴史と文化

早稲田校

新選組の人々―多摩と新選組・幕末

  • 夏講座

松下 尚(日野市立新選組のふるさと歴史館学芸員)

曜日 月曜日
時間 13:10~14:40
日程 全4回 ・07月07日 ~ 09月01日
(日程詳細)
07/07, 07/14, 08/25, 09/01
コード 120246
定員 30名
単位数 1
会員価格 受講料 ¥ 11,880
ビジター価格 受講料 ¥ 13,662

目標

・多摩と新選組との関わり
・幕府寄りといわれる多摩の人々にとっての幕末とは

講義概要

現在日野市では「新選組のふるさと日野」というフレーズで町おこしを行っている。土方歳三や井上源三郎は日野出身で、沖田総司も日野にゆかりがあるといわれている。有力なスポンサーであった名主の佐藤彦五郎の存在もあり、日野と新選組の関係は深くみえる。一方、新選組は多摩(武蔵国多摩郡)が生んだ、という文脈で語られることも多いが、多摩地域出身の新選組隊士は意外と少なく、幕末の多摩地域の人々がそこまで新選組に思いを寄せていたわけではないようにもみえる。果たして多摩と新選組とはどのような関係だったのか、幕末の多摩の人々はどのような行動を取ったのかについてみていく。

各回の講義予定

日程 講座内容
1 07/07 多摩の天然理心流 新選組の母体といわれる剣術 多摩地域は近藤勇や土方歳三の故郷であり、しばしば新選組の母体のように語られることがある。
しかし、イメージほど新選組隊士に多摩出身者は多くない。ただ、その多くない出身者を結んでいたものは、多摩で流行した「天然理心流」という武術である。
何故この流派が多摩で流行し、後に新選組の中核となる近藤勇グループを形成していったのかについて見ていく。
2 07/14 浪士組と多摩 後の新選組になる「浪士組」近藤勇とその門人・食客はこれに参加し、世に出ていくことになるが、近藤勇門人以外で浪士組に参加した多摩の人は実はいない。
近藤門人の内訳も日野に偏っており、必ずしも多摩の人々が浪士組に関心を抱いていたとはいえない。
多摩の人々にとっての浪士組の上洛とは何だったのかについて見ていきたい。
3 08/25 新選組と多摩 近藤勇や土方歳三が京都で名声を得るようになると、それは多摩にも伝わっていたようで、近藤、土方らは地元で英雄視されるようになっていったことが当時の記録からもうかがえる。
多摩とのやり取りも頻繁に行っていたようであり、入隊希望者が上洛した記録も残っている。地元における捉え方も当初とはかなり変わっていったようである。
こうした変化や地元「多摩」における新選組の捉え方についても見ていく。
4 09/01 多摩の幕末・戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦いで敗れた新選組は江戸に戻り、「甲陽鎮撫」の命を受けて、途中多摩地域を通過した。多摩地域の中でも、積極的に新選組を支援する者もいれば、静観する者もいた。
結局新選組は「甲陽鎮撫」の任を果たせずに敗走し、代わって新政府軍が進軍してきて、多摩地域の人々も否応なく新政府に従わざるを得なくなった。この時期の多摩の人々の動き、その後の新選組顕彰の動きなどについて見ていく。

講師紹介

松下 尚
日野市立新選組のふるさと歴史館学芸員
1977年東京都生まれ。明治大学大学院文学研究科日本史学専修中退。2007年より現職。『描かれた新選組』『日野宿いろは』『銃砲から見た近代の夜明け』など、日野市立新選組のふるさと歴史館発行の出版物を多数執筆。コンテンツ文化史学会員。
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